バルテュス展@東京都美術館
GW代休の夫に子守を押し付けて、念願のバルテュス展(http://balthus2014.jp)に行ってきました。バルテュスの絵に触れるのは、17年前にメルシャン軽井沢美術館(http://www.museum.or.jp/modules/im_museum/?controller=museum&input%5Bid%5D=4091)でジャコメッティとの二人展を観に行って以来です。メルシャン美術館、閉館になってたんですね。残念。
9時半に上野公園に着いてみると、遠足の子どもと修学旅行生で園内はいっぱい!でも都立美術館は空いていて、ゆっくり絵を観ることができました。
画家が8歳から11歳にかけて描いた愛猫との出会いと別れを描いた『ミツ』がとにかく大好きなのですが、今回初めて観たうちでは『嵐が丘』の挿絵がとても良かった。幼いヒースクリフとキャシーの濃密な関係が、画家のその後の人生すべてに覆いかぶさっていたと言っても過言ではないように思えました。
節子さんによる挨拶文には、画家が作品を見せるのに何より光にこだわるので、存命中は大きな規模の展示ができなかった、という主旨のことが書かれてありました。17年前の展覧会が、数ある美術館の中、軽井沢で催された理由がようやく分かりました。メルシャン美術館は小さいながら、光溢れる素敵な空間でした。
今回の展示も、他の展覧会に比べてやけに暗いし寒かったのですが、画家の意向をなるべく汲もうとしていたんですね、きっと。
扇情的な作品群について、貧乏画家だったバルテュスが人々の注目を集めるためわざとスキャンダラスな絵を描いた、と解説にありましたが、それはないのでは……。
描きたくないものはどう頑張っても描けないし、執拗に同じモチーフを繰り返し描き続けていたところを見ると、やはり描かずにはいられないから描いていたと思います。そうでなければあんなに魅力的な絵にはならないでしょう。禁止への侵犯は芸術家と子どもの使命です(バルテュスは芸術家と呼ばれることを嫌い、自らを画家であり職人であると常々述べていました)。
描くことは祈りの一つ、神に行き着く一つの道だと、私は確信しています。(バルテュス)
家に帰って『ミツ』をもう一度読み返しました。