鮭失格

息子を産んでから、正確に言えば男の子を妊娠しているとわかったときから現在に至るまで「男の子ねえ……」とあからさまにネガティヴな反応をされることがありました。今はああまた暇人が何か囀ってらーと聞き流せるのですが、妊娠中と産後すぐくらいまでは神経過敏になっていることもあり結構堪えました。

こないだも息子と呑気に散歩していて、通りすがりのおばあさんにまあかわいいわね、と話しかけられたと思ったら「男の子は確かにかわいい。女の子と違っていつまでも子どもだし単純だし甘えん坊だし。でも思春期になったら口も聞いてくれなくなるし、結婚したらお嫁さんのところから帰って来なくなる。女の子はいいわよ。大人になっても話せるし、孫の顔年中見せてくれるし、一緒に買い物や旅行も行けるし、こっちのこといろいろ助けてくれるし。女の子産んどきなさい」と一気にまくし立てられました。

他の人もだいたい似たようなことを言ってきます。「産むなら女の子のほうが得」こんなしょうもない意見がまかり通るのはインターネットの中だけのことと思ったらリアルでも同じだなんてウンザリしちゃうなーメンドくさいなー。だいたい子どもの性別を損得で括るのがいけ好かない。

もしいつか私が娘のいない人生を後悔することになっても、そんな私を遠くから嘲笑ってくれればそれでいいのに、今必死こいて育児してる人間のそばに来て意見してくれるのはなんなんでしょうね、わざわざお疲れ様です。一言言わずにいられない人はどこにでもいるし、昔々のドラマで市原悦子が「人は他人の幸せにそっと小石を投げ入れてみたくなるものです」と言ってたので私が幸せかどうかは別として諦めることにしました。(冒頭のこの台詞が強烈で、子どもの頃に見たこのドラマを覚えているのですがいくら検索しても見つけられず、長年モヤモヤしています。「家政婦は見た」ではないんですよねえ)

みなさんが口を揃えて強調するのは、男の子を育てるのは本当に大変!(なのに後々自分から離れてしまうので割に合わない)ということと、もうひとつ、娘なら孫を連れて実家に帰ってきてくれる!ということ。まるで卵を産みに生まれた川へ戻る鮭のようだなあ。だとしたら私は鮭失格だなあ。かれこれ15年実家には帰ってないし、母と買い物も旅行も一緒にしたことなんてないし、5年くらい音信不通だった時期もあるし。

二人姉妹の妹だったこともあって、子どもの頃はしょっちゅう「男の子だったら良かったのに」と言われ、男の子の服を着せられ、男の子のように振る舞うことをよしとされ続けた身としては、いま母から「あんたが女の子で本当に良かった」と言われると、おいおい調子いいぞ!と思ってしまうのですが、私の息子が彼女の初孫だから仕方ないのかもしれません。これも諦めることにしました。人生諦めが肝心です。

子どもが男だろうが女だろうが、とにかくひとりで生きていく力を身につけてくれればいいと思っています。その上でご縁があれば誰かと結婚して子どもを持つこともあるかもしれないし、その時サポートが必要ならばあちゃんは力の続く限り頑張るつもりです。というわけで来るべき時のためにアシュタンガヨガ修行しています。でももちろん必要とされなければそれはそれで構いません。当然ですが私の人生と子どもの人生は別のものです。

結婚記念日、夫が自分のブログに「自分は同性愛者ではないけれど、たとえ妻が男でも好きになっていた」と書いていて、やだ公衆の面前で恥ずかしー!となったのですが、この人と一緒にいられるのだから、男とか女とかどうでもいいや、という気持ちになりました。誰に何を言われても、3人+1匹で慎ましく穏やかに暮らしていきたいなあと願いながら、息子と激しいぶつかり稽古に励む日々を送っています。さて今夜はちゃんちゃん焼きにでもしようかな。