À la recherche du temps perdu

 フランス語を勉強し直したらだんだんフランス文学を読みたくなりいろいろ検索しているうち、気になって思わずダウンロード。予想以上に面白かった。超大作が端的にまとめられているだけでなく、分かりにくい主人公の人間性もかなり分かりやすく描かれていたし、他の登場人物たちについても「あ、こんな人いたいた!」という感じで、曖昧な記憶をざっくりと整理できた。絵はかなり癖があるけれど人物描写は割と想像通りで、子どものころ学習漫画で歴史を覚えた者には懐かしい感覚だった。ここまでまとめるのは大変な作業だったろうなあ。
 というわけでその勢いのまま読み始めてしまった。このところ夏目漱石とヨガ関係の本ばかり読んでたので新鮮な感覚。

 これまでちくま文庫井上究一郎訳を2回読んだ。岩波文庫吉川一義訳が刊行中なのも知ってるけど、Kindleで読みたかったのでこちらを購入。今の刊行ペースだと完結まで10年以上かかるかもしれない。そのころ余力と部屋のスペースがあれば吉川訳も読もうかな。

 でもこの小説は、ほんとに10年に1回くらいのスパンで取り組むといいのかも。随所で「前読んだときはよく分からなかったけれど、こういうことだったのか!」という発見がある。もちろん再読でのそんな発見は本作に限ったことではないが、記憶の積み重ねが重要な鍵となるこの物語においては、読み手の年齢と経験の積み重ねもまた、作品世界を受け入れるのに必要不可欠な材料なのだと思う。

 紅茶に浸したマドレーヌのかけらを口にした瞬間、過去の記憶が鮮やかに溢れ出す、この小説で最も有名な場面で、主人公が思い出すのは彼が幼年時代を過ごしたコンブレーという町での日々だ。
 主人公は幼い頃、眠る前に母親からおやすみのキスをしてもらうのを唯一の慰めにしていた。しかし来客があると、そのささやかな夢も叶えられなくなってしまう。彼は手を替え品を替えなんとか母を自分の部屋へ来させようとするが果たせない。そんなときの客は決まって隣人のスワンだった。幼い主人公は、自分から母を奪うスワンの来訪を苦痛に感じる。

 主人公を悩ませた、愛する人の不在。さらに愛する人が自分の知らない場所で楽しい時間を過ごしていることを感じるときの苦しみ。それを理解している唯一の人間は、他ならぬスワンだったことを、ずっと後で知ることになる。

 スワンがなぜその苦しみを知ることになったのかは、続く第2部の『スワンの恋』で明かされることになる。
 『失われた時を求めて』を岩波文庫で刊行中の吉川氏が手掛けた本。息子に『よるくま』を買ったとき見つけて思わず購入してしまった(同じ白水社の『フランス詩のひととき』のように品切になったら悲しいし……)。『スワンの恋』の抜粋対訳にしてフランス語音声付き。この長い長い物語を原文を読むことはないと思っていたので抜粋そして音声付きは嬉しい。フランス語で取り組む本、2冊目まで決めているのでしばらく積ん読になっちゃうけど、先の楽しみにしよう。

 話をコンブレーに戻すと、スワンの来訪による母の不在の淋しさに耐え切れなくなった主人公は、ある晩言いつけに背き、スワンが帰るまで母を待ち続けてしまう。運悪く父親に見つかってしまい、万事休すと思いきや、いつもは厳しい父親の気まぐれな計らいで、その晩は母と一緒に過ごすことに。主人公は幼心にこんな幸せな夜は再び訪れないことを知っている。そしてこの一夜の経験が、彼の生涯に大きな影響を及ぼすことになる。


 いつもプロレスしながら息子の涙と鼻水とよだれにまみれて寝かしつけている身としては、主人公が可哀想で可哀想でたまらず「客なんてほっといて毎晩一緒に寝てあげなさいよ!え!?」と母親の肩を掴んで揺さぶりたくなる。そもそも「母の不在から生まれる悲しみ」がなければ、この長い長い物語は生まれないのに。

 でも、もうどんな物語でもきっとお母さん目線でしか読めないんだろうな、と思う。仕方ない、実際お母さんになってしまったんだから。こうやってたくさんのものと引き換えに親になっていくさみしさをしみじみ感じながら、今夜もまた本を読んでいる。