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所詮この世は生まれてきたもの勝ち

生き延びる 子ども
 お向かいの小学生男子がリコーダーを毎日一生懸命練習しているけれどちっともうまくなりません。蝉の声と混ざってひどい不協和音です。夏休みだなあ。
 
 育った家を出てからこの8月で15年になりました。節目として何か書いておかなくてはと思いながらいつの間にか8月も後半になったところを見ると、取り立てて記すことなんてないのかもしれません。それでも今思うところを書いておきます。
 
 夫も子どももいて毎晩息子からプロレスを挑まれている今の暮らしなど、15年前は想像もしませんでした。結婚はもちろん、子どもを持つことなど一生ないと思っていました。自分が生きていくことだけで精一杯で、人を顧みる余裕などなかったのです。
 
 物心ついてから毎日のように父親から暴力を振るわれていました。父親は、私の存在は諸悪の根源であり、自分の人生がうまくいかないのは全て私のせいだと繰り返しました。家を出る前の数ヶ月間の暴力は特に凄まじく、このままでは本当に殺されてしまうと思い、周到に準備して家出しました。今日のようにひどく暑くて蝉の声がうるさい日でした。
 
 当時は、なぜ自分だけがこんな辛い目に遭わなければいけないのかという不満でいっぱいで、親しい人にほど辛く当たっていたと思います。一番親しい人だった今の夫と結婚したものの、不安定な日々は相変わらずで、夫が優しければ優しいほど不安の波に襲われ、夫を試すようなことばかりしていました。今思えば、私はそのときあれほど軽蔑した父親と同じことを繰り返していたのです。
 
 さすがにこれではいけないと思い、心理学や精神分析の本を読み、病院にも行きましたが、最後はヨガに辿り着きました。ヨガの教えの「余力があるから余計なことを考える。とりあえずガンガン動いて何も考えられないほどクタクタに疲れ果ててしまえ」という側面はとても分かりやすく、そのときの私にぴったりでした。合わせて座学にも取り組むうちに、気持ちも少しずつ落ち着いていったように思います。
 
 息子を妊娠中は自分にまともな子育てができるのか怖くて怖くて仕方なかったのですが、いざ産んでみたら待ったなしで頻回授乳にオムツ替えの繰り返し、悩んでいる暇などなく、生後6ヶ月過ぎてからは断乳まで夜泣きに次ぐ夜泣きの連続で、日中は常に朦朧としていました。はからずも三昧の境地を知ることになったのです。
 
 そんなわけで息子を産んでからはトラウマなど出てくる隙もありませんでした。あれほど自分を苦しめてきた過去も、たったひとりのか弱い赤ん坊を目の前にして、取るに足らないものになってしまうのだから、育児の荒療治効果はすごいです。あらゆる意味で赤ん坊は無敵です。
 
 何より良かったのは、夫が父親になった姿を見られたことでした。以前も書いたように、息子にとても優しいのはもちろん、その日の気分で息子に接したりしません。常に変わらない穏やかな態度で息子に話しかけます。それは親として当然のことなのかもしれませんが、私には新鮮な光景でした。子どもにとって「いい親」とは何か、定義することはできません。でも情緒の安定した、精神的にぶれない父親を持った息子はとんでもなく幸せ者だなあ、と羨ましくなります。親の顔色を窺いながら暮らしていた私は、父親のいるときは好きな時間にトイレも行けませんでしたし、食事時も機嫌よく食べていると思ったら突然お膳をひっくり返して殴ってくるのでいつも緊張していました。私が送れなかった幸せな子ども時代を、息子は確かに過ごすことができています。本人はそれが幸せなことだなんて自覚はないし、この先も抱くことはないでしょう。この毎日は「当たり前」のことだから。私はその「当たり前」がありがたくて嬉しくてたまらないのです。
 
 息子は現在1歳8ヶ月、腕白ぶりにもますます拍車がかかり、寝かしつけ時以外でも気に入らないことがあるとすぐにキレて暴れるようになりました。もしや祖父の狂気が遺伝?と本気で心配になり検索してみたところ、男児には珍しくないことのようで、おそらくイヤイヤ期前哨戦なんでしょうが、ここからの約1年は結構な正念場なんじゃないかと考えています。私の左頬ばかりが傷だらけのところを見ると、どうやら息子は右利きのようです。
 
 でもどんなに殴られても蹴られても、「お母さん◯◯ちゃんのことだーいすき♡」と毎日繰り返しています。親バカもいいとこです。でもそうせずにいられないくらい、息子がかわいくていとしくてたまらんのです。
 
 お父さんはあんなに私の死を望んで、私も一時はその方がいいのかもしれないと思いつめてきたけれど、所詮この世はは生まれてきたもの、生き残ってきたもの勝ちなんだと家族を持って知りました。せっかく生きのびたんだもの、これからも全身全霊で面白おかしく生き続けてやろうじゃないの、という気分です。誰が何と言おうと、私はこの人たちと家族になるために生まれてきたのだと、今は確信しています。
 

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