溺れないための修業
フランス語の勉強を再び始めてから3ヶ月が過ぎました。3行程度ではあるものの、1日も欠かさずにFacebookで日記もつけています。相変わらず育児の息抜きにノロノロ続けている感じですが、最近柴田元幸さんのこんな言葉を知りました。
頭を使わなくなるためには、ある程度は勉強はしないとだめです。語学の勉強って、語学のことを考えなくていいためにするものだと思います。
ズキーンときました。これはとても良く分かります!たとえるなら、泳ぐとき「手はこうだから、えーと足は……」なんて考えてたらあっという間に溺れてしまいます。その「えーとえーとどうするんだっけ」から自由になって、水の中をすいすい進むために私たちは学ぶ。それはヨガでも、そして音楽でも、どの世界でも通じることだと思います。でもこの「ある程度」の壁が曲者で、それはそれは高いんですよねえ。これを超えるためには、当たり前ですが毎日少しずつの積み重ねが必要です。しかもちょっとでもサボったらあっという間に真っ逆さまに落ちて忘れ去ります。特に大人になってからその傾向は顕著です!
フランス語は言いたいことを先へ先へ簡潔に述べていく、ある意味日本語とは真逆の言葉なので、和文仏訳の際は日本語のどの情報が重要なのか整理する作業が大事になってきます。なので必然的に日本語の勉強にもなっているんじゃないかと思っています。産後、ほぼ毎日1歳児と猫としか接していない身にはとても大事なことです。
勉強できるのは息子の昼寝中と就寝後のみですが、子どものいる友人たちは、意外なことに口を揃えて「一番勉強したのは子どもが小さいとき」と言います。限られた時間をできるだけ有効に使おうと集中するので、育児中は勉強に最適な時期なのかもしれません。さらに寝た子を起こさない机の上のこと限定になるのも大きい気がします。
いつか息子とフランスへ旅行に行けたらいいなあ、とは思うものの、他には特にこれといって目標もない、あてもない勉強なのですが、内田樹さんがこんなことを呟いてました。
前RT(池谷さんの)に同感。「何かを始める動機をはっきり言語化できる人は、だいたい長続きしない」というのは僕の経験則と一致します。「どうして始めるの?」という問いに対して「えええ・・・わかんない」と当惑する人の方がだいたいその分野では成長するものです。
ノロノロやってても良さそうです。
次回は具体的にどんな勉強をしているのか、時間割や参考書など、自分のための整理も兼ねて書いてみようかと思ってます。
Bébé a mangé de la pêche pour la première fois.
息子は初めて桃を食べました。