いつかモジャモジャになる日
息子(1歳半)と散歩していると、見知らぬ人からよく女の子に間違えられます。まあ、間違えられても「ごめんなさい、あんまり可愛いのでつい……」とお世辞を言ってもらえるので悪い気はしませんし逆パターンのような気まずさもないです。
しかし親の欲目でも息子は男の娘からは程遠く、わんぱく坊主以外の何者でもありません。服にも寒色系を取り入れているし、髪もサロンド母ちゃんで定期的に短くしてるし、何でだろうなあ。
ついこの間も「うちは男の子だからもう大変で大変で……羨ましいなあ」と通りすがりの女性から一気にまくし立てられ、何のことか最初は分からず、ああ勘違いされてるのか、と気づいたもののめんどくさいからこのまま女の子で通しちゃおっかなーと一瞬思いました。
こんなことが続くので、自分が子どものころしょっちゅう男の子に間違えられていたことを思い出しました。見た目は元より、とにかく一秒もじっとしていないおてんばだったからだと思います。まだ幼かったこともあり、他人から間違えられることで思い悩んだりはしませんでしたが、その後の両親や身近な大人の言葉にいつも傷つきました。
「男だったら良かったのに」
私は姉と二人姉妹なので、両親は特にそう思ったのでしょう。お下がりは姉のよりも従兄からのものをよく着せられるので、余計に男児に間違えられていました。パジャマズボンの前が開いているのが嫌で嫌で仕方なかったのを今でもよく覚えています。
それから程なくして父から「お前なんか生まれて来なければ良かった」と、成人して家を出るまで言われ続けることになるのですが、その前から「誰もありのままの私など必要としていない」ということに薄々気づいていました。
だから何とか親の気を引こうと、些細なことでもわざと乱暴にしてみたり雑にしてみたりしてどう反応するのかを確認、「やっぱり男みたいだ」と喜んでいるのを見て安心、無駄なことに労力を費やしたため、後でどっと疲れていました。
自分の子どもにはそんな思いをさせたくないので、息子には望まれて生まれてきたんだよ、そのままでいいんだよ、というメッセージを言葉でも態度でも伝え続けているつもりです。実際、妊娠して性別の分からないときから、男でも女でも無事に産まれてさえくれたら本当にどちらでも良かったです。
でも、男の子の場合はどんなおとなしい子でも「女だったら良かったのに」と言われることは少ないと思います。第二子以降で上にも男の子がいたら、そういうこともあるのかもしれませんが、それでも元気な女の子が「男だったら……」と言われる可能性より遥かに低いでしょう。その代わり「男のくせに」「男らしくない」という、これもまた残酷な言葉が待っています(元気な女の子の場合は「男だったら良かった」に「女のくせに」「女らしくない」が更に上乗せされるのです)。
今はジェンダーの多様化が進んでいるのでそういうことは少ないのかもしれませんが、私が子どもの頃は確実にそうでした。
ドラマ「カーネーション」で勝気な糸子は「お前が男だったらどんなに良かったか」と父親を残念がらせますが、糸子は幼馴染みで気の小さい勘助を「ヘタレ」と罵り続けます。糸子は気づかないけれど、糸子も勘助も抱えている生きづらさは合わせ鏡のようなものなんだと思います。
わんぱくでもままごとが好きな女の子もいれば、おとなしいけれどやんちゃな男の子もいます。「この子はこういうタイプに違いない」という大人の狭い了見に当てはめがんじがらめにして、子どもを生きづらくすることだけは避けたいです。
まあ息子がこうやって女の子に間違えられるのもきっとほんの一時。誰が教えたわけでもないのにいつの間にか車が大好きになっており、行き交うバスを観察するのが日課となりました。確実に男の子の階段を昇っています。今はすべすべの腕や脛もいつか父譲りのモジャモジャになり、そんなときもあったねえ!というみんなで懐かしがるエピソードのひとつになるのでしょう。
気づけば今年ももう折り返し。
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本当に男の娘だったらにとりんを目指してもらいたかったです!