人は着るもんで変わるんや

 子を持つまでは、夫と下北あたりで古本や中古CDを漁りながらのんびり古着屋を回るのが楽しみのひとつでしたが、出産後はそんな道楽は夢のまた夢となり、ひたすら育児に追われる毎日となりました。

 このほど断乳して「わーいやっと好きな服が着られるぞ!」と喜び勇んで引き出しを開けてみたら普段着は授乳服とユニクロしかないという惨状にただ呆然、いくらなんでもこれはなんとかしなければ、でも買い物へ行く暇はありません。着物は無駄にあるけれど、1歳児との暮らしの中で日常的には着られるはずもなく、必然的に洋服のネット通販一択となります。

 好きなお店のネットショップはありますが、それは大人の着るもので、自分には分不相応と思っており、これまで夫の祖母へのプレゼントでしか買ったことがありませんでした。長い間高嶺の花だったのです。でもふと気付けばいつの間にやら私も充分過ぎるほどいい大人ではありませんか。それに、カットソーが5000円くらいからなので、特に贅沢すぎるというわけでもなかったんです。ただ頭が1000円以下でも当たり前の古着脳になっていて、これまで二の足を踏ませていたようです。

 そこで思い切って買ってみました、憧れのお店の憧れのカットソー。届いたのを着てみれば、生地も縫製もいいから軽くて肌触りも抜群にいい!着心地がいいと人間不思議なもので、それだけでとっても幸せになれる。もちろん、普段は息子とぶつかり稽古しながら涙やら涎やら鼻水やらを受け止めなくてはならないので大切にしまってあります。でもあの服が引き出しの奥にある、そう思うだけで穏やかな気持ちになれるのです。次はあれを着てどこに出かけようかな、と考えるとうきうきします。

 今日のタイトルは「カーネーション」の糸子の台詞から。糸子にイブニングドレスの仕立てを頼みに来た踊り子のサエが「自分はどうせ場末の踊り子だ」と自嘲したとき、糸子が返した言葉です。ぐっと来ます。そして今、しみじみ「本当にそうだね、糸ちゃん!」と実感しているところです。明日もがんばろう。