赤はきらい

 昨日、入学式一色のTwitterを眺めていたら、焦げ茶色のランドセルを背負った1年生の女の子の写真が目にとまった。

 私もランドセルが焦げ茶色だったのでシンパシーを覚えるのと同時に、男子どもから6年間ウンコ色とからかわれ続けた嫌な思い出も蘇り、余計なお世話ながらとても気になった。でも今はランドセルも色とりどりの百花繚乱だから、焦げ茶色も特に珍しがられることもなく、そんな心配はいらないのかもしれない。

 私が小学生のころは、ランドセルといえば男子は黒、女子は赤が当たり前だった。入学当初、私のほかに黄色いランドセルの女の子がいたのだが、からかわれるのを苦に2学期で赤に染め直して来たのを今でも覚えている。赤黒以外を使っていたら迫害される、それくらいマイノリティだった。

 なぜ赤ではなく焦げ茶だったのか。別に目立ちたかったわけじゃない。赤が嫌だったからだ。焦げ茶も特に好みだったわけではなく、父とランドセルを買いに行った際、選んだら父が喜びそうな渋い色だったのでそうしただけだ(選んだら実際父はとても喜んだ)。6年間使ううち焦げ茶にはとても愛着が湧いたし今では大好きな色のひとつになったけれど。

 大人になった今は当時ほど赤に対して嫌な感情はないし、たまに着ることもあるけれど、やはりメインには決して持ってこない。差し色という感覚だ。

 これまでは「子どもの頃から変わり者だったんだろう」と思う程度で、さしてそれを不思議なこととは捉えていなかった。でも子どもを持ってから、よその子どもたちと触れ合う機会も増え、女の子たちはもちろん、男の子も想像以上に赤を好むことを知った。そこでだんだん自分の嗜好が変わり者というレベルではないような気がしてきたのだ。

 自然の花や果物をはじめ、この世界の可愛いもの、おいしいものの多くが赤で彩られている。赤を好きじゃないというだけならまだしも、嫌いというのはやっぱり極端過ぎる。

 あるとき遊びに来た母に「私なんで赤が嫌いだったんだろうね」と何気なく聞いてみた。すると意外な答えがかえってきた。

 私は1歳半違いの姉との二人姉妹だったのだが、両親はリボンにしろ鉛筆にしろ、お揃いではなく必ず赤とそれ以外の色を用意したらしい。当然赤を巡って毎回取っ組み合いの大げんかになるわけだが、幼児にとって1歳半の年の差は大きく、力では姉に敵わなかった。赤はいつだって姉のものだった。そんなことを何度も何度も繰り返しているうちに、私は「赤は嫌いだからいらない」と言うようになったそうなのだ。

 それって思いっきりすっぱいブドウじゃないか!本当は欲しくてたまらないのに、決して手に入ることはないから自分に嘘をついて納得させてたなんて、我ながら可哀想すぎる……。

 「なんでお揃いにしてやらなかったの?そうすれば親にとって面倒なけんかも起きないじゃない」「お父さんがそうしろって言ったから」あんまりだ。

 別の意味でモヤモヤしたし、父の意図はだいたい分かってるが、ひとまず長年の謎がようやく解けた。自分がこれ以上傷つかないための理由づけ、防衛本能なんだろうけど、幼児でもそれをするということに驚いたし、今の今まで赤が嫌いだと幼い頃の自分に思い込まされてきたことにもびっくりだ。心は本当に難しい。

 息子にはきょうだいはないので、今のところそんな思いをする心配もないけれど、親の好みの押し付けだけはしないようにしたい。

 息子が最初に好きになるのは何色だろう。